東京地方裁判所 昭和42年(ワ)12498号 判決 1969年1月17日
原告 若林キヨノ
右訴訟代理人弁護士 伊藤庄治
同 上矢袈裟富
被告 小出昭夫
右訴訟代理人弁護士 奥一夫
主文
原告が被告に対し金二〇〇万円およびこれに対する昭和四一年一〇月一八日から右完済まで日歩二銭九厘の割合による金員を別紙支払方法のとおり完済したときは、被告は原告に対し、別紙物件目録記載の不動産につきなされた別紙登記目録記載の各登記の抹消登記手続をなした上所有権移転登記手続をせよ。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
一、原告は主文第一項同旨の判決を求め、その請求の原因として次のとおり陳述した。
(一) 原告は訴外若林貞雄と連帯して被告から昭和三九年暮頃から昭和四〇年五月までの間数回にわたり合計金二〇〇万余円を借り受けたが、昭和四一年一〇月一八日右借受金について原被告および訴外若林が話合った結果、右元本のうち金二〇〇万円を超える部分は被告において放棄し、残金二〇〇万円についてこれを目的とする準消費貸借契約を締結し、別紙物件目録記載の不動産(以下本件不動産という。)を右準消費貸借債務の担保として原告は被告に譲渡し、右債務の支払方法は追って協議定めるものとした。そして昭和四一年一〇月二九日右契約に基き本件不動産につき被告のため所有権移転登記手続をなし、同年一二月一日右債務の支払方法について次のごとく合意し、右合意について東京法務局所属公証人居森義知作成昭和四一年第五九九六号をもって金銭消費貸借契約公正証書が作成せられた。
1 原告らは元本債務金二〇〇万円を別紙支払方法のとおり支払う。
2 利息は日歩二銭九厘の割合とし昭和四一年一二月二〇日を第一回とし毎月二〇日に一ヶ月分後払いすること。但し初回は借受日から昭和四一年一二月二〇日までの分とする。
3 原告および訴外若林貞雄が右元金又は利息の支払を二回以上怠ったときは、通知催告を要せず期限の利益を失い直ちに元金を弁済することを要するものとする。
4 原告が前記債務を完済したときは被告は本件不動産の所有権を原告に移転し、その旨の登記手続を完了すること。
5 原告が前記債務を履行しないときは、被告は本件不動産の価額を金七〇万円と評価し、その評価額をもって前記債務の代物弁済として本件不動産の所有権を完全に取得することができるものとする。
右の場合貸金額より支払済の割賦元金額を控除した残額が右評価額より多額のときは、原告は直ちにその余剰額を被告に支払い寡額のときは、被告はその差額を原告に支払うものとする。
右の代物弁済予約は、被告において原告に対し確定日附のある書面をもって代物弁済予約完結の意思表示をなしその書面が原告に到達したとき、または通常到達すべかりしときをもって完結し、本件不動産の所有権は完全に被告に移転するものとする。
6 原告は、被告が本件建物に抵当権を設定して金融機関より融資を受けることを承諾し、ただし、原告が前記債務を完済して本件不動産の所有権の返還を受ける場合には被告において自己の出捐をもって該抵当権設定登記を抹消するものとする。
(二) しかして、被告は本件不動産の所有権取得登記を経たのち別紙登記目録記載の抵当権設定登記等各登記手続をなした。よって被告は、原告が前記約定どおり元利金を支払うときは右各登記を抹消した上本件不動産につき原告に対し所有権移転登記手続をなすべき義務がある。
(三) しかるところ、被告は、訴外若林が訴外原山弘夫より昭和四二年九月一六日強制執行を受けたことにより原告らの被告に対する前記債務について期限の利益を失ったものとして昭和四二年九月二一日付内容証明郵便をもって原告らに対し元利金一、八〇〇、七三八円を右郵便到達後一週間以内に持参支払うよう催告しかつ右期間内に支払なき場合には何らの通知をすることなく本件不動産を代物弁済として取得すべく、しかるときは、本件不動産を被告に明渡すべき旨通知してきた。
(四) しかしながら、原告らは他の債務につき強制執行を受けたとき前記貸金債務につき期限の利益を失う旨の合意をした事実はない。尤も、前記公正証書中にはその旨の記載があるけれども、右の各条項は合意なくして記載せられたものである。のみならず、訴外原山弘夫のなした前記強制執行も右の条項に該当するものではない。即ち、
右公正証書記載の期限の利益喪失に関する条項は、印刷した不動文字をもって書かれており、これらは、債務者の支払の意思なく、支払不能又は、支払停止の状態に陥った場合ないしは、債権者に対し著しい背信行為をなした場合の具体的事例を例示的に列挙したものであり、これに該当するか否かは形式的に判断すべきでなく、実質的見地から判断すべきものであるところ、訴外原山弘夫のなした強制執行はその経緯次のとおりで無効のものであるから右条項に該当するものではない。
訴外若林貞雄は訴外林光一とともに、昭和四一年七月六日当時、訴外原山弘夫に対し金一九万円の金銭債務を負担しこれを昭和四一年七月末日限り金五万円、昭和四一年八月から同年一〇月まで各月末日限り一ヶ月金五千円宛、同年一一月から昭和四二年一月まで毎月末日限り一ヶ月金八千円宛同年二月から支払済みに至るまで毎月末日限り一ヶ月金一万円宛分割支払い、右割賦金の支払を遅滞しその額が三ヶ月分に相当する金額に達したときは期限の利益を失うものとされていたところ、訴外若林貞雄および林光一は右債務のうち初回割賦金五万円を支払い、その後も昭和四一年八月から一〇月まで毎月金五千円を遅滞なく支払っていたのであるが、その後の割賦金の額は従前と異なり、右のとおり金八千円ないし金一万円と増加していることに気づかず、昭和四一年一二月以降も昭和四二年八月まで毎月金五千円宛、送金支払をなし、そのため、訴外若林の債務について三ヶ月分遅滞したこととなり、訴外原山弘夫より右債務について期限を失ったものとして昭和四二年九月一六日何らの催告もなく、突如として有体動産について差押を受けたのである。訴外原山弘夫は訴外若林らの送金してきた金員の額が約定割賦金に不足していることを奇貨としてこれに対し何らの異議も述べず受領しておいて不足する旨の通知もせず右のように強制執行するに至ったものであるから債務の履行につき信義則上要求される債権者の協力をしなかったものというべく期限の利益を失ったものといえないに拘わらずなしたのであるから右強制執行は無効のものである。なお、右強制執行は、原告が訴外人に金三五、〇〇〇円を支払うことで和解が成立し同年八月二五日右差押は解除となっている。
(五) 仮りに右の強制執行は有効であったとしても、原告らは右公正証書に基く債務は遅滞なく支払っていたのであるから前記期限の利益喪失条項をとらえ、これに該当するものとして本件不動産を代物弁済として取得すべき旨の代物弁済予約完結の意思表示および本件不動産明渡の要求は権利の乱用である。
(六) よって、原告は前記契約に基き被告に対し別紙支払方法による元利金の返済をなすときは本件不動産につきなされた前記各登記を抹消の上所有権移転登記すべき義務の履行を求め本訴に及ぶ。
二、被告は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として次のとおり陳述した。
(一) 請求原因(一)の事実を認める。
(二) 同(二)の事実中原告主張の各登記がなされていたことを認める。
(三) 同(三)の事実を認める。
(四) 同(四)(五)の事実中訴外若林貞雄が訴外林光一とともに訴外原山弘夫に対し負担していた債務弁済に関する事情については被告は何ら関知するものではなく、その余の原告主張事実は否認する。
被告は唯単に原告主張の貸金の遅滞債務者の一人である訴外若林貞雄の強制執行を受けたことを知って原告および同訴外人が右債務に関し公正証書をもって確約した条項に該当したので原告主張のとおり元利金の支払を催告し期間内に支払なきときは代物弁済の予約を完結する旨の意思表示をしたもので被告に何ら非難すべき事由は毛頭存しない。
三、証拠関係≪省略≫
理由
一、原告が訴外若林貞雄と連帯して被告に負担していた債務のうち金二〇〇万円について、原告らは昭和四一年一〇月一八日被告と準消費貸借契約を締結し、その支払方法は追って協議するものとし、原告は右債務担保のため原告所有の本件不動産を被告に譲渡し、同月二九日所有権移転登記手続を経たこと、そして同年一二月一日原告らは被告と合意し、右債務の支払方法および関連事項について原告主張の約定をなし、右合意につき原告主張の公正証書が作成せられたこと、被告は原告から所有権移転を受けその登記手続を経た本件不動産につき原告主張の各登記手続をなしたこと、
以上の事実は当事者間に争いがない。そして、右の事実によれば被告は、原告が被告に対し、右約定に従い準消費貸借債務の元利金を支払ったときは、原告に対し、本件不動産につきなされた別紙登記目録記載の各登記は抹消した上所有権移転登記手続をなすべき義務あること明らかである。
二、しかるところ、被告は、代物弁済により本件不動産の所有権は完全に帰属したから、被告は原告に対し本件不動産を返還する義務は消滅したという。よって検討するに、
前記公正証書中には、原告らが他より強制執行を受けたときは、原告らの被告に対する貸金債務について期限の利益を喪失し、原告らが右債務を履行しないときは、本件不動産を七〇万円と評価し、被告が取得できる旨の条項があることは当事者間に争いはなくまた、訴外若林貞雄が訴外原山弘夫より昭和四二年九月一六日強制執行を受けたところ、被告は原告らにおいて貸金債務の期限の利益を失ったものとして、書留内容証明郵便をもって原告らに対し元利金一、八〇〇、七三八円を右郵便到達後一週間以内に支払うよう催告し、かつ右期限内に支払のないときは代物弁済として本件不動産を取得する旨の通知をしたことも当事者間に争いがないのであるから、原告らにおいて右元利金債務の存在を争わず催告期間内に弁済したことの主張立証なき本件においては前証公正証書記載の期限の利益喪失の条項に法的拘束力を認める限り、本件不動産の所有権は完全に被告に帰属し、原告においてこれが返還を求める権利なきものとしなければならない。
三、しかるところ、原告は右条項は原告らの合意なくして記載せられたものであるというのであるが、右公正証書が原告らの嘱託に基いて作成せられたものである以上原告らの合意に基き右条項記載もなされたものと推認すべきであるところ、これを覆えすに足る証拠はない。
しかしながら、前認定のとおり、原告は、前記二〇〇万円の貸金の元利金債務担保の目的をもって本件不動産を被告に譲渡し、被告はこれを担保として融資を受けることができ、元本または利息の支払を二回以上怠ったときは原告らは期限の利益を喪失するものとされ、その場合残元利金の支払なきときは、被告は本件不動産を七〇万円と評価して元利金を清算できるものとされておるのであって、しかも、本件不動産について被告は所有権取得登記後右評価額はいうまでもなく、当初の貸金元利金をも遙かに超える債権額を担保する抵当権を設定していること当事者間に争いないのであるから、被告は前記貸金回収について原告らが他から強制執行を受けたからといって不安を感ずべき何らの理由がないといえるのである。他より強制執行を受けた場合にも期限の利益を喪失せしめるものとする条項を必要とする理由を認むべき資料はないのである。一方≪証拠省略≫によれば、前記期限の利益喪失の条件とされた条項は、右割賦金および利息支払懈怠の場合以外はすべて予め印刷された不動文字をそのまま利用して削除訂正するところはないことが認められ右条項のもつ意義について原被告ら間に話合いのなされた形跡もないのであるから、以上の事実を考え合せれば、右公正証書に記載せられた「他の債務につき強制執行を受けたとき」という期限の利益喪失の条項は例文と解するのが相当であって、これに法的拘束力を認むべきではない。
四、しからば、訴外若林が訴外原山より強制執行を受けたことを理由とし、原告が期限の利益を喪失したことを前提とする被告の主張は採用できない。
してみれば他に主張立証なき本件においては、原告が前記元利金債務を約定どおり支払うときは、被告は、本件不動産につき被告のなした別紙登記目録記載の各登記を抹消した上原告に対し所有権移転登記すべき義務あるものというべきところ、被告は本件不動産は完全に被告に帰属したとして返還義務を否定しているのであるから、原告は将来における給付を訴求する利益があるものというべきである。
五、よって原告の本訴請求は理由あるをもって正当として認容し民事訴訟法第八九条を適用し主文のとおり判決する。
(裁判官 綿引末男)